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ところが、カクマにいるスーダン人の中には少なくとも39の異なった民族がいることを聞いてびっくりした。よく目を凝らすと、みんな違うところに住んでいる。そういえば、スーダン国籍を持っている人に、どこの出身かの話をするとき、必ずスーダンのどこの地域から来たのか教えてくれる。しかしこのような事実は知っていても、スーダン国内の複雑な民族間関係の重要性は最後になるまで分からなかった。あるとき彼らの書いた詩を理解しようとしたつもりで、私自身の無知さをさらけだしてしまった忘れられない体験をしたので、反省の意味をこめてご紹介させていただきたいと思う。
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それは詩の内容の解釈に悩んだところを作者本人にインタビューをするため、2001年にカクマに戻ったときだった。インタビューをしたい人の名前をKRLCの集まりで発表し、それぞれ都合のいい時間を選んでもらって自分の気に入った木陰で待ち合わせた。ある日、約束の時間に2人のスーダン人の作者が来て、「僕たちは兄弟だから一緒にインタビューを受けたいと思って・・」とやってきた。彼らは、2人とも「平和」について書いたという。彼らの詩は希望に満ちていたので、私も「平和」について書いた詩だということは分かっていた。これは、「ママ・カクマ」の最後の章に載っている「僕の夢」と「切望」である。そこで私たちは、キャンプ内のレストランで買ったコーラを飲みながら話し始めた。
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「僕の夢」については思ったとおりの解釈でよかった。そこで、私は「切望」という詩の中で妙に疑問に思った部分について、作者の少年マークに質問した。それは彼の詩の最後のバースについてである。
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同郷の仲間たち
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祖国から寄生虫をおっぱらおう、力を合わせて
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汚らわしい手を使うんじゃないぞ
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手をとりあって
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平和と自由をおいかけよう
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祖国に自由をとりもどすために
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私が気になったのは、「祖国から寄生虫をおっぱらおう、力を合わせて」という表現だ。私は、「寄生虫をおっぱらう」ことが平和と自由を求める手段だという考え方が、スーダンの南北戦争を激化させてきた原因なのではないか、と質問した。これを聞いたマークは首をふったが、どのように私に説明していいか分からなくなっていた。そこで、私は更に聞いた。「平和を追いかけるために戦いが必要ならば、やはり平和はこないのでは?」と。
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この質問にマークは答えられなかったので、「自分は意地悪な質問をしている」と思い、話題をそらそうとした。しかし、横で聞いていた兄サミーが耐え切れない様子で割って入った。「マークは間違っていない」というのだ。そして、「スーダンのことを十分知らないからそういう質問をするんだ」と言われた。そこで、一応勉強したスーダンの南北戦争の青写真を彼らに話してみた。私も全くの無知ではないことを伝えたかったのだ。そして私は、この詩がスーダンの北部イスラム勢力を(彼らの出身である)南部の人々が「追っ払らう」ことで、スーダンを統一しようといっているふうに聞こえると再度話した。それは、私の思い描く平和への道とは程遠いものだったからだ。
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しかしその直後、私は彼らから驚くべき説明を受けることになった。彼らによれば、この詩は南北戦争についていっているのではなく、南部の民族紛争のことをいっているということだった。実は、南部の民族間紛争についてほとんど気にしていなかったので、閉口した。なるほど、南部の民族紛争のことをいっているならば、南北戦争は終わらないにしても、詩の意味は一貫していると思った。
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しかし私はぜんぜん甘かった。
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私の曖昧な反応にいらいらした兄サミーは、彼らの身の上話を始めた。実は、彼らは本当の兄弟ではないという。更に彼らは、ヌエール族とディンカ族という違う民族の出身だったのである。この2つの民族は、1991年に内部勢力の分裂したときから戦闘を始めた。
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サミーとマークは、それぞれ1987,88年に北部勢力が村に侵攻してきたとき、両親を殺され、孤児となってエチオピアに逃げた。エチオピアのパニイド・キャンプに保護されたとき、たったの10歳と5歳だった。彼らはそこで同じ家に育ち本当の兄弟のように暮らしはじめた。
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ところが、彼らがカクマに輸送されてきたとき、ヌエールとディンカの紛争が始まった。サミーは、真剣なまなざしで「僕たちの祖国で殺しあっている。僕たちだってスーダンに戻れば銃をとって撃ち合っているはずなんだ」と言った。これは、彼らの住むカクマキャンプにも波及して、現在にいたるまでキャンプ内の両民族間に緊張が残っているほどである。
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しかし、両親を失った彼らは同じ家に住み、兄弟として助け合って生きてきた。周りの大人たちがキャンプ内でディンカだ、ヌエールだと衝突しているときでも、彼らは2人で手を取り合って耐えてきたという。だから、彼らはヌエールとディンカが早く仲直りしてほしいと一心に願いながら生きてきたのだった。2001年には、この紛争は終結したことになっているから、彼らの夢がやっとかなった訳であるが、その10年間は辛いものだったという。
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これを聞いたとき、とてもショックを受けて、自分の頭を切り落としてしまいたかった。私は教科書で読んだマクロな紛争の話と平和の理論を持っているだけだった。そして、半生を、しかも等身大で平和を実践してきた歳下の兄弟に向かって「平和とは何か」を垂れたのだ。彼らは自分を難民孤児に追いやった南北戦争を批判したのではなく、一番大切なお互いを守りながら平和を訴え続けてきたのに、である。紛争をしている民族間が分かれて居住しているカクマ・キャンプで、その境目線を越えながら兄弟でいることが、いかに辛いこともあったかと思うと、涙が出そうなぐらい感動した。サミーが話し終えたときには、何がなんだか分からずに彼らの詩を読み返すことしか出来なかった。今度は、そのすべてがすばらしい詩に思えた。彼らはこの私のありさまに笑いながら、「やっと分かってくれたか」と満足したようだった。彼らの姿は、100倍輝いて見えた瞬間を今でも忘れられない。
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その後、私は、民族や部族のことに異常に敏感になったことはいうまでもない。キャンプを出てからもそれを強調しつづけてきた。繰り返しになるが、カクマキャンプにはスーダン人だけで少なくとも39の民族が居住している。